14年目の3月11日がきました。
2万2,228人の関連死を含むお亡くなりになった方、行方不明の方々。2万7,615人の今も避難をしている方々。
苦しみが終わらない方々は、たくさんいます。
あの年の1年間、江戸川区内で40回の物資を集める日を設け、10回に渡り被災地へゆき、物資をお渡ししながら、そこで求められているボランティアをしてきました。
仕切りも何もない体育館の避難所から、仕切りができていく様子、その後、仮設ができてそちらに移る様子、その後公営住宅へ移る様子、それらを1年かけて「学ばせていただいた」のだと思っています。
だから、「災害時に命を守る」ための防災に取り組まなくてはと思い続けてきました。
大船渡へ行ったのは8月でした。住宅のそばに打ち上げられた船は、まだそこにありました。
その時出会った大船渡の施設の方々、暮らしている人たちに、山林火災が続く中、電話をしました。手伝えることはないですかと。
市役所では、物資は近隣自治体や企業から届けられているので、できれば災害義援金(被災された方々に寄せられるもの)、あるいは災害見舞金(市の災害復旧・復興事業などのために寄せられるもの)をいただければとのことでした。
昨日、ようやく避難指示が全て解除された大船渡市ですが、なぜまた苦しみがおおいかぶさらなければならないのかと、胸が痛みます。
大船渡の人々が前を向いて歩けるように、少しずつでも、お手伝いができればと思います。
https://www.city.ofunato.iwate.jp/site/rinyakasai/36822.html
東日本大震災を、忘れない。
いま、生きて、歩いている人たちを、忘れない。