12年前、東日本大震災が起こったあの日、被災地と区民を結ぶと決めました。
その1年間、公園などで40回物資を集め、10回に渡り2トントラックにいっぱいの物資と、30人乗りのバスで中高校生や大学生たちと一緒に被災地へ行き、物資を渡し、そこで求められているボランティアをしてきました。
あの時も、4月の選挙の直前でした。
「そんなことをしている場合か」と言われました。でも、
食べる物も飲む物も着るものもない人たちがいるのに、
そして、自分も何かできないかという区民の人たちがいるのに、
何もしないでいるなんて、私にはできませんでした。
あの一年があったから、
誰も死なせない。みんなで助かる。
そのための防災についてずっと取り上げ続けてこれました。
ブルーシートの避難所が、ダンボールで区切られていく様子。
仮設住宅への引越しがされる時の、先に出られる人と残る人との確執。
子どもが騒いでしまうからと避難所を転々として3箇所目ですと言っていた発達障害の子を持つお母さん。
生きるために必要な物が変わっていく様子も見てきました。
ブラジャーも、しゃんとしたいという声を聞き、いろいろな大きさをいただきました。
1年を目前にした時には、喪服が欲しいという声も出てきました。
それらも集めました。
2,000人を超える方々からの物資を被災地に届け続けました。
誰かが誰かのために。
そして、みんなで生きる。
たくさんの方の思いを胸に、
私ができることをこれからも行い続けます。
心を込めて行い続けます。