「図書館は資料収集の自由を有する」
これは、第二次世界大戦後につくられた「図書館員の精神的な支柱といえる」『図書館の自由に関する宣言』(日本図書館協会)の第1に、書かれています。
そして、前文にはこのように書かれています。
「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。
わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。
図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。」
そして、そこには、
(1) 多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する。
(2) 著者の思想的、宗教的、党派的立場にとらわれて、その著作を排除することはしない。
(3) 図書館員の個人的な関心や好みによって選択をしない。
(4) 個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、紛糾をおそれて自己規制したりはしない。
などが書かれています。
その視点に立つ時、
今回出された、図書館の管理者を指定する議案4本に対して、
私は、反対をしました。
指定される管理者は、株式会社などであり、
株主への配当を考えなければなりません。
そこに、「資料収集の自由」はありつづけられるのか。
また、現在、公立図書館は、図書館法で、無料の原則が定められています。それでも株式会社などが参入するとなると、どこを削ることになるのか。
それらの懸念がある中での賛成はできませんでした。
現在、指定管理のもとでも働いている図書館員の方々は、とても頑張っておられます。私も、いくつかの図書館の行事も一緒に参加をさせていただいたいます。その方々の一生懸命な働きを支援するためにも、公立図書館について、これからも考えていきたいと思っています。