会議 | 令和5年 1月 子育て・教育力向上特別委員会-01月17日-08号 |
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日付 | 令和5年1月17日(火) |
開会 | 午前10時00分 |
閉会 | 午前10時57分 |
場所 | 第1委員会室 |
案件 | 1 意見交換 2 執行部報告 (1)令和5年江戸川区二十歳を祝う会 実績報告 (2)子ども未来館 社会のしくみ(政治ゼミ)特別講座「子ども議会」 (3)江戸川区立小学校特別支援学級 連合てんらんかい 3 その他 |
【委員会の調査概要を作成するに当たっての意見交換】
◆間宮由美 委員 どの座学も視察先も有意義でありました。ですので、まず正副委員長と事務局、執行部の方々に感謝申し上げます。
不登校児の現状についての座学では、不登校の子のその後についての調査は難しいけれど、今年は東京都が多額の費用を使い、フリースクールに通う子どもや保護者に対してのアンケート調査を行っていて、毎月レポートを出してもらっているというご報告もいただきました。
後追いをしていただくことにより、現在の子どもたちに対する対応も見えてくることがあると思いますので、小中の連携の中で、あるいは中高の連携の中でシステムをつくることができるとよいのではないかと思うところです。
また、葛飾区の東京シューレを誘致するに当たって、蓮沼教育長もご尽力くださったことをお聞きをいたしております。あのような学校に必要な子であれば誰もが入ることができるためには、なお一層の補助金も必要だろうと思いますので、ご検討願いたいと思うところです。
東京シューレの奥地圭子さん方が開いていらっしゃる不登校の全国大会は、不登校だった子どもたちが自分の声で今の自分を語ってくれます。自分は不登校だったけれど、今はやりたいことがあって、今こうして頑張っている、今の自分って結構いけてるでしょう、と話してくれるその姿は希望でもあります。彼ら、彼女たちの姿を今苦しんでいる子どもたちや親御さんにぜひ見せてあげられるような機会が、江戸川区の中でも増やせるといいなと思うものです。
また、東京シューレとしての不登校の子どもたちに対する見方、一緒に生きるという考え方を全ての学校に不登校の子どもがいますから、全ての学校の先生たちが視察などに含め、学び合うことができることを望むものです。
西小岩小学校の人工芝化は、学校としても人工芝がもたらすよさを感じていることをお聞きすることができました。あとは、環境に与える影響を最小限にするために、さらに使用する素材への研究を重ねていただきたいと考えます。
ゆいの森あらかわは、複合施設として雨の日も親御さんと子どもたちがいることのできる場所として、また災害時に逃げることのできる場所としても身近な施設としての存在と、そのために縦割りではない部署のつくりをしていることに学びました。特に私は、図書館の居心地のよさに、そこにかけられた情熱を感じました。図書の探しやすさであったり、本を読むだけでなく飲み物を持って勉強もできる机の配置であったり、お話をしてもいいという考え方も存在しました。それをつくってきたのは、荒川区の図書館に長年お勤めの職員の方々であったとのことでした。指定管理としないことを選んだことで、人件費としては区としての持ち出しは増えているとのことでした。しかし、長年にわたり図書館にお勤めであった図書館司書の方々の熱意を大事にしてきたことが、あのような図書館につながったのだと誇りを持っていらっしゃったことには学ぶことが多くありました。
最後に、児童相談所の現状についての座学についてです。江戸川区の児童相談所が開設されて2年。江戸川区に開設されたということの意味の大きさと、そこで働く皆さんの熱い思いは必ず子どもたちの幸せにつながるだろうと思いました。江戸川区に児相ができたことにより、広域だった時代に比べると格段に地域関係者との連携が深まっていると感じています。所長からもその家庭に関係している人であれば、個別ケース検討会議のような場面にも家庭復帰の際とかにはおいでいただくのがよろしいのではと考えているとお話しくださいました。
子どもは地域の元へ帰っていくのだから、その地域の人たちを大切にしよう、その人たちの力を大いに借りようという思いもお聞きをしました。ぜひ貫いていただきたいと思います。
また、児相と関わる親御さんからよく聞く声としては、子どもを育てるってどうしていいか分からないということです。よく話を聞いていきますと、その親たちもまた虐待を受けて育ったために、叩くことが当たり前だった、だから叩いたら虐待を言われて子どもを連れていかれてしまった、それが駄目ならどうしたらいいの、という叫びです。子育ての在り方を一緒に考え、学ぶことができる場面を、どうぞさらに増やしていただければと思います。
また、子どもが自分で伝えられるということは大事なことです。ある日の夜中、警察に電話をして、お父さんが今お母さんを殴っています、助けてくださいと電話をした小学生がいました。翌日、相談に来たその子に、どうして警察に電話をしたの、と聞いたら、学校で教えてもらったと言っていました。学校の中でこういう場合には助けてと言っていいんだよということを伝えるということ、そのことは非常に大事なことだと思いました。子どもたち自身が助けを求めることができるようになるということは、子ども自身が自分の人権を考えることができるようになることでもあります。学校との連携もさらに深めていただければと思うところです。
また、児相への電話が5時になるとつながらなくなってしまいます。親御さんが仕事をしている場合、仕事が終わってからであると5時を過ぎてしまう、そうすると別のところにかかってしまうというため、担当者と親御さんとの間でぎくしゃくが出てしまうことも少なくはありません。所長からも、人数をもう少し増やしてもらえたらありがたいというお話もございましたが、子どもの命と直結しているのが児相ですので、ぜひ人数を増やすこと、また、今後は夜の時間帯もはあとポートとして電話が受けられる体制づくりもお願いしたいと思うところです。
さらに養護施設についてですが、平成28年の児童福祉法改正で、できるだけ家庭内養護にシフトしていくという流れがあり、箱物の施設ではなく養育家庭を増やしたほうがいいのではないかという考えとなっているというお話もございました。
その一方、実際は養護施設は逼迫していて、満員で入れないということのお話もございました。実際に、現在児相を出た後に行くところがない子どもたちがいるという現実があります。里親を増やすということとともに、里親になってくださる方が人として高まっていくことがなければ、自分の家庭で傷ついた子どもが里親のところでさらに傷つくという場面も、残念ながら出ています。家庭的養護と並行して、今必要である養護施設などをつくっていくこともまた、積極的に考えていく必要があると思いますので、ぜひご検討いただきたいと思います。
2019年当時、一時保護所開設準備の担当課長であった茂木課長が、江戸川区が目指す児童相談所、一時保護所ということで、職員向けの勉強会を区として開催してくださったお話をお聞きしたときに、私は胸が熱くなったことを覚えています。決して通り一遍のことではなく、それまで数々の一時保護所を回られ、勉強されてきた茂木課長が、全国の児童相談所や一時保護所が当時抱えていた問題点も、子どもや親との関係も隠すことなく切り込んで話してくださったからでした。江戸川区の児相は、きっと子どもたちを救ってくれる、そう思ったことを覚えています。心の翼をちょっと休める場所として、そしてそこからまた家庭へ戻り、その子がその子らしく生きていくことができるように、これからも頑張っていただきたいと思っています。
最後になりますが、子どもたちは未来を担う子どもたちではなく、私は今を生きる子どもたちだと思っています。その子たちのために、ご尽力いただいています職員の皆様に心から感謝申し上げます。私も、誰もが幸せに生きることができるように努力してまいります。ありがとうございました。
○栗原佑卓 委員長 それでは、本日の意見交換を踏まえまして、1年間のまとめを文書で作成をいただき、来週の1月24日(火)までに、事務局宛てにメールにてご提出をお願いいたします。なお、提出に当たってのご案内を机上に配付いたしましたので、参考としてください。
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【執行部報告】
◆間宮由美 委員 二十歳を祝う会についてです。今年度こうして開催できて本当によかったと思います。改めて、2年前のできなかったときの人たちのために、10年後の開催というのを改めてお願いしたいと思っています。
それと、今回同年代の方の声での司会ということで、これもとてもよかったと思っています。ぜひ、参加から参画へということで、この二十歳の人たち自身がつくる会に来年度、改めて内容を考えていっていただければというふうに思っております。
この会自体は、同い年の子たちとお祝いをして一緒に会えるということ、そのこと自体が一番うれしいことだとは思うのですが、実は終わりましてから、何ももらってこなかったよというふうに二十歳の子が親御さんに伝えているということが何件かお聞きをしました。物をもらうということがうれしいということでもないと思うのではあるんですけども、しかし、実はその日には仕事でお休みが取れなかったり、それからお友達に会いたくなかったり、また、あるいは着飾る服がなくて出席できないという二十歳の方々がいるのも現実だと思います。
そうしますと、案内を出すときに何か残る物をそのときに一緒に封筒に入れてもいいのではないかというふうにも考えた次第です。ぜひご検討いただければと思います。
また、最後になりますが、ウクライナの戦禍の影響で日本へ来た二十歳の子に対しても、通訳席含めて、大変丁寧に対応していただきましたことを、改めて感謝を申し上げます。ありがとうございます。